2001年12月号 そうぞうしい!話 (株)計画情報研究所主任研究員 米田 亮 様
   会社のみんなで「創造とは何か?」という議論になり、話が盛り上がる中で“発酵”という言葉と結びついた。創造を発酵になぞらえると、不思議と考えやすい。
創造が発酵であるなら、発酵しやすい条件、おいしく発酵させる技、材料の選び方、仕込みの季節があるはずである。松岡正剛氏は“創造”とは編集行為であるとし、その発酵の技を「知の編集工学」で体系化している。中心となるのは六十四編集技法であるが、一つ一つの技法の組み合わせと適用方法は、“勘”と“経験”がモノをいうようである。そんな点も実際の発酵に似ていておもしろい。
松岡正剛氏が“杜氏”の技法を体系化する一方、“蔵をどうするべきか”に着目しているのが野中郁次郎氏である。「企業は知識をマネージ(管理)することはできない。組織にできることは、知識をイネーブル(実現可能にする)することだけである」という経験則に基づき、知識創造に促進効果をもたらす一連の組織活動を“ナレッジ・イネーブリング”と名付けている。企業が知識創造の“場”として機能することを最重要視する経営戦略である。
同様の概念を地域経済の枠組みで実証的に捉えているのが、佐々木雅幸氏の「創造都市論」だ。酒づくりの風土が自然環境によるならば、知識創造の風土は地域における文化的文脈と人間活動の関係性に大きく依存するという都市論である。
さて、創造についていくつかの想像を交えて書いてきたが、G.H.ハーディ氏は、純粋数学に捧げた自分の人生をこう振り返っている。「まったく無意味な人生だという裁定からのがれる唯一のチャンスは、私が創造に値するなにものかを創造したと判断されることだ」。社会的有用性ばかりが問われる今日、人間としての喜びという視点で“創造”を見つめ直すことから始めてみたいと思う。