Urban Stage Research Institute Corporation

 
 

人と遊びと地域づくり

計画担当取締役

四尾 泰

   
 
   
1.「遊び」 1−1 人の暮らしから見た「遊び」
 
 「働く」、「創る」、「遊ぶ」と「食う」、「休む」、「動く」の入子構造が人の暮らしであり、前者群は「意志」のカテゴリーであり、後者群は「行為」のカテゴリーである。
 そして、「休む」・「創る」は「権利」であり、「食う」・「働く」は「義務」であり、「遊ぶ」・「動く」は「目的」である。
 それぞれが明確な境界を持ち独立した地位を持っているわけではないことは当然のことである。
 例えばこのように人の暮らしを分類した場合に「遊び」は「意志」であり、かつ、「目的」となる。
 
1−2 人の感情から見た「遊び」
 「喜」、「怒」、「哀」と「楽」、「悩」、「苦」の入子構造が人の感情であり、前者群は「結果」のカテゴリーであり、後者群は「原因」のカテゴリーである。
 そして、「苦」・「哀」は受動的であり、「悩」・「怒」は能動的であり、「喜」・「楽」は生き甲斐であり、到達目標となる。
 あてはめた場合には、「遊び」は「喜」・「楽」であり、生き甲斐になりえるものであるとなる。
 
1−3 人の判断から見た「遊び」
 「夢中」、「嫌悪」、「無関心」と「共感」、「否定」、「中間」の入子構造が人の判断であり、前者群は「状況」のカテゴリーであり、後者群は「評価」のカテゴリーである。
 そして「夢中」・「共感」は「参加」している状況であり、「嫌悪」・「否定」は「拒否」している状況であり、「無関心」・「中間」は「依存」している状況である。
 あてはめた場合には「遊び」は「共感」し、「夢中」になっていることであると考えられる。
   
2.「地域づくり」 2−1 「地域づくり」とは
 
 むらおこし、まちおこし、地域活性化など様々な呼び名で表現されている「地域づくり」とは一体何なのであろうか。
 「都市」に対して「過疎」、「増加」に対して「減少」、「若さ」に対して「老い」、少なくともこうしたマイナス要因を減らす施策が「地域づくり」であろう。
 また、「過疎」に対して「豊かな時間」、「減少」に対して「豊かな空間」、「老い」に対して「豊かな人間性」などのマイナス要因をプラスに転ずる施策も「地域づくり」である。
 開発するのも「地域づくり」であるのなら、改善し、保全するのも「地域づくり」である。
 多様な切り口を持つ「地域づくり」、「地域づくり」が目指すものとは一体何なのであろうか。
 「地域住民が元気になるようなしかけ」、これが「地域づくり」であり、「地域づくり」の目指すものであると考える。
 
2−2 「地域づくり」の課題
 「地域づくり」という「しかけ」には「しかけ」を諮る「提案者」と「しかけ」に乗る「地域住民」が存在する。両者が同一の場合があることは言うまでもない。
 「地域づくり」が「しかけ」である以上、地域住民がその「しかけ」に乗ることが「しかけ」の「是非」を問われるポイントである。
 単発的な施策が一時的な「地域の元気」を招いたとしても、それは「地域づくり」ではなく、地域住民・流出住民が主体的に活動し、「地域の元気」が継続するものでなければならない。
 これを満足させるには、地域資産である地域住民・流出住民、風土・伝統、歴史・文化などを地域に根ざした素材とし、「しかけ」を組み上げていくことが基本になろう。
 
2−3 「提案者(しかけ人)」
 「地域づくり」の「提案者」としては、前述したように、地域住民などが主体となって継続していくことが必要であることを前提とすると、地域住民・流出住民の中から登場することが最も望ましい。しかし、地域住民は普段の生活の延長線上でしか地域を把握することができないため、そこに価値を見出す目をもつことは難しいのが一般的であろう。
 地域を理解し、外部への目を一定程度確保しているのは行政である。行政が地域住民に提案し、共に活動していくことは、地域住民の信頼を得ている意味でも効果的であろう。しかし、行政は一般的には計画に関して評価する目は持ち合わせているものの、コーディネイト、マネージメントに関しては未経験である場合が多いと考えられる。
 ここでシンクタンク、コンサルタントの役割が浮上してくることになるが、地域風土などの素材に関し知識でしかなく、肌に染み込んだ者ではないシンクタンク、コンサルタントに一任した「しかけ」では、地域に根ざしたものとなりにくい。
 三者が一体となり積み上げいく「しかけ」である必要があるのは当然のことであろう。
   
3.「地域づくり」と
       「遊び」
 
 
 「遊び」が参加する者の「自由意志」であり、夢中になれるもので、かつ、生き甲斐となりえるものである以上、そこに「義務感」や「嫌悪感」、「依頼心」が継続していては、長続きするものではない。
 まして「地域づくり」となれば、継続して「元気」を地域にもたらせるものでなければならず、この点で「地域づくり」と「遊び」は相容れないものとなってしまう。
 「地域づくり」のために「遊び」を取り入れるのではなく、「遊び」を「地域づくり」に役立たせるといった観点が必要であろう。
 まず、「提案者」が地域住民が参加し、夢中になれる「しかけ」を提案し、地域住民とともに育てていく。
 次に「遊び」に参加する地域住民と、「遊び」を「地域づくり」に仕立てる者とが明確にその役割を分担し、仕立てる者が夢中になっている参加者を舞台に上げ、他地域へPRしていく。
 他地域住民がこの「遊び」に注目し、共感し、地域へ集まってくることにより、地域住民の元気のみならず、その波及効果としての産業活性化、地域資産の保全などが実行されるものと期待される。
   
4.まとめ  
 
 「遊びと地域づくり」に関して役割分担の重要性を述べてきたが、真に必要なのは関係者の「汗」であろう。役割が変わっても、これは不変である。
 「額に流れる水滴が知らない間に干しあがっている」ほどの熱意が必要なのである。