子孫安定

 人は本来、自由であり、動物のように死を恐れるものでもないし、欲にかられて行いをするものでもないのです。

 確かに、現在は、経済価値がその思想の中心部を占拠し、それがあたりまえの基盤であるかのようになっています。

 そのために、豊かな国はいつまでも豊かでなければいけないので、他の国から摂取したり、名ばかりの安全保証を口約束するのです。

 それでも相手が納得しないのならば、正義という旗を掲げ、国民に戦いに出ることを強要します。

 正義という言葉に酔いしれる国民は、洗脳されたかのように、正義のためにを掲げ、殺人をおこない、それに対してなんら罪悪感ありません。

 罪悪感があったにしても、拒否することにより、非国民もしくは処刑されることが恐ろしく、拒否しきることはできないのです。

 これは正しい世の中にするための革命であり、正義なのだ。

 その正しい世の中を実現するために、多少の犠牲はやむえをえないのであり、それをためらっていたのでは、正しい世の中は実現しないのだ。

 これらの言葉に拒否し続けることのできる人々がはたしてどれほどいるのだろうか。

 まわりの人々がそれに従うことを見てしまったら、それでも拒否し続けることができるのだろうか。

 人は本来、自由に考える生き物であるはずです。

 しかし、この自由さえも履き違えているのに、大半の人々が善とする革命に参加しないでいることができるでしょうか。

 ここまで、本来の人間性を失ってきているのですから、そろそろ元に戻る力があってもよいのではないでしょうか。

 人間は、いつも陽陰、左右、高低などの相対概念の行動をくねりながら歩いているのです。

 したがって、長い目で観れば、人間の本来の姿は自由であるとともに中道となるのです。

 弦を力いっぱい引っ張っているのが現在の状態です。

 そろそろ力をぬいて、元に戻りませんか。

 元に戻ったとたん反対側に行くかもしれませんが、いつかは、その触れ幅も小さくなり、音は小さくなるのです。

 そして中道にある人間を世に送り出すのです。

 我欲が善であると言っているのが経済社会です。

 別に経済社会が悪だと言っているのではありません。

 経済社会、競争社会、科学万能社会があったからこそ、達成できた善なる部分もあります。

 ただし、それだけでは偏りがありすぎるのです。

 見てください。

 地球の環境のすさんだ状態を。

 この地球の環境をすさんだ状態にしたのは、後遺症を考えない経済社会、競争社会、物質社会なのです。

 ところが、すさんだ環境を元に戻すのも、その原因を作った科学技術でしかないのです。

 押されれば、押し返すのは、物理の世界や社会だけではないのです。

 地球だって、人類は無理を強いれば、反抗します。

 ところが、反抗していると見えても、それは自分が自分の鏡に映った姿に反抗されているのと同じことであり、地球には人類などというものは単なるカビでしかありません。

 ちょっと血を吸う蚊程度のものでしかないのですが、喜んで血を吸われているほど寛大ではないだけかもしれません。

 人類がいないことが永遠の安定を得る条件であると言った人がいるようですが、それは、今だからです。

 不安を増させたのは誰でもない人類ですから、その人類を処刑してしまえば、安定するかもしれません。

 でもその安定を喜ぶののは一体誰なのでしょうか。

 軌道修正することを恐れずに、反省しながら、元に戻りましょう。

 もし、それができないのであれば、不良品として人類はこの世から消滅されることになり、新しい生命に貴重種であると認定されるかもしれません。

 絶滅種や貴重種とならないためにも、本来の人類の姿に、考え方に戻りましょう。

 充分世の中のしくみを勉強したはずです。

 執着を解くことにより、そのしくみを素直に観ることができるようになり、新しい生き方も見えてくるはずです。

 強い種は小数で、弱い種は多数で種を保存します。

 人類は強い種となったのですが、多数なのです。

 これでバランスが崩れない方が不自然なのです。

 ところが、もともと弱い種であったはずの種が科学という武器を産み出し、これにより強い種へと変身してしまったのですから、多数の人類を生かす、そして環境の乱れを直す科学が不可能であるはずがありません。

 一人一人が安定した社会をめざし、環境を思いやる気持ちを表現すれば、社会は変わっていくのです。

 政治や宗教などなんの役にもたたないのです。

 それは、その手法を考えるためには必要なものかもしれませんが、安定した社会を目指すことや、環境を思いやる気持ちは政治や宗教とは何の関係もありません。

 一人一人がそれを思えば社会が変わるのです。

 無理をしないと生きていけない社会なんていうのは、戦争をし、悪いこととは知っていながら、その意識とは別のことろで殺人をするのと同じことです。

 簡単なことなのです。

 では、あなたの孫やそのまた孫の時代を考えた場合に、あなたは安心して子孫を残すことができますか。

 通常は、そんなことを考えずに、神からの授かりものと思い、生命のいぶきをまるで神の奇跡のように思っているかもしれません。

 ところが、生まれてくる子供達は本当に恐怖の時代を生きる事になるかもしれないと考えたら、素直に子供をつくることができますか。

 そして、そんな恐ろしい時代には絶対にならないと断言できますか。

 私は脅すことは嫌いです。

 しかし、子孫のために安定した社会を構築してあげようという気持ちになることに間違いはないと思うのです。

 だから、一人一人が安定した社会を目指すことが必要なのです。