人は生まれ変わるのか?

 「輪廻転生」という言葉があるのをご存じと思います。

 まさに生まれ変わるということを示しているのですが、私の考え方としては、あると思います。

 私の考え方としては、「生」というのは「尊い意識」となるための入試試験もしくは卒業試験のようなものであるということです。

 隣死体験をした人が「あの世は光に満ちたすばらしい所」と言っていますが、本当かどうかは別にしても、肉体的な重荷を付けたこの身体よりも、精神だけが自由に動き回れるあの世の方がすばらしいに決まっています。

 生まれる前に、「この世ですべき課題を理解した上で生まれるが、生まれた時に忘れてしまう」というのも聞いたことがあると思います。

 「証明できるのか」といわれれば、私には証明するすべがないので、信用してもらわなくても良いです。

 ただ、多くの実験で、前世をイメ−ジし、これと実際が同じであったことが言われています。

 私自身には前世を聞き出すというような能力がありませんし、こうした場に立ち会ったこともないので、「あると思います」としか答えようがないのです。

 ただ、なぜ生まれ変わるのかということに対しては、私なりの考え方があります。

 キ−ワ−ドは、「無から有は生じない」、「歴史は進化する」、「生物は進化する」、「存在し続けることを目指している」といったことになろうかと思います。

 体が細胞からなり、細胞は分子などからなり、分子はもっと小さな粒子からなるという事実は、体は粒子の集合体であることを意味します。

 では、皮膚を培養させれば、再び人間が完成するといったことは聞いたことがありません。

 しかし、死んだ人の内臓を移植し、生きた人を正常に治癒させていくことを考えれば、クロ−ン人間というSF的な世界も可能であるように思えます。

 皮膚をはがして、培養すれば、人間ができる。

 こう考えると、人間というのはまさに機械と同じであるということになります。

 電子計算機が高度の計算ができる頭脳を持っていることを誰も疑うことはしないと思いますが、分解してその「基」を探ろうとしてもそれはムダな行為にしかすぎません。

 高度な計算ができるような電気的なシステムがあってはじめて計算ができるのです。

 人間も同じように、機械のような仕掛けだけではだめで、生命というシステムがないと存在していかないのです。

 では、生命というシステムがなぜ、受け継がれていくのでしょうか。

 生命が誕生してから、生命はより安定した存在になるために絶え間のない進化を続けてきました。

 「存在し続ける」ための進化をくり返し行ってきたのです。

 より安定した存在になるためには、過去の知識を土台にして、その先を経験していった方が良いはずです。

 「無から有は生じない」ということなのです。

 もし、生まれ変わりがなければ、「知識」というものは進歩するかもしれませんが、肉体的な進化があるとするのはおかしいはずです。

 経験の蓄積である「知識」のほかに、進化を促す「知恵」が存在し、この知恵をより大きくするために「生まれ変わる」行為をしているのです。

 「知識」は科学や学問などを進化させることはできるのですが、肉体やこれに伴う精神を進化させることはできないはずです。

 もし「知識」で進化があるとすれば、手話を覚えたゴリラはその他のゴリラと違って大きく進化するはずです。

 また、長い間人類と付き合ってきたイヌも進化しているはずです。

 ところが、イヌが独自に科学を産み出したとか、より多くの意志を伝達できるように進化したとかいう話を聞いたことがありません。

 むしろ、猿の生態を見ていると、人類の行動が見えるといった考え方もあるぐらいです。

 基本的には必要、不必要のいかにかかわらず、人類が最も高度な知識を所有していることは間違いのないことだと思います。

 人類が最も他の影響を受けずに、存在しつづける生命にふさわしい可能性があるとして、進化してきたのです。

 「知恵」に導かれた進化と「知識」に導かれた科学、両者とも発展には違いないのですが、「知恵」を蓄積していくためには生まれ変わるということがないと達成しそうにもありません。

 では、生命が「存在し続ける」ために「生まれ変わり」を繰り返している目的は何なのでしょう。

 別に「消滅」しても良いはずですし、少なくとも人類が生き延びるために進化しているといった恣意的なことは考えずらいと思います。

 もし、人類よりも目的を達成させやすい生命が誕生すれば、人類は消滅するかもしれません。

 生命には目的があって、知恵を蓄積し、より安定した「存在し続ける」ものへと進化しようとしているのです。

 これを理解しようとする時には、人類がなぜ一人ではないかということを考えることから初めるとわかりやすいかもしれません。

 より安定した生命に向かって進化していくためには多くの人類が必要なのです。

 必要がなければ、一人の人類で良いはずです。

 多くの人々がいるということは、「個」にその意味があるのではなく、「群」に意味があるということになります。

 例えば、統計ということを考えるといいかもしれません。

 交通事故は偶然に起るのですから、毎年大きく交通事故数が変化してもよいはずですが、統計してみるとほとんど同じ発生で、確率の世界で言い表すことができます。

 信じられないほど大きな飛行機に乗るのは、理由はわからないけれど「飛ぶ」という事実と「落ちる確率」が低いから乗るのです。

 「個」の偶然が全体では「確率」で示せるのはおかしいと思いませんか。

 より安定した生命になる確率を高めていくことが「生まれ変わり」の手法だと思うのです。

 そして、「群」に意味を持たせることにより、危険を回避する確率を高めるのです。

 地震や災害なので消滅することを避けるために「群」に意味を持たせたのです。

 さらに、「支える・支えられる」関係を産み出すために「群」に意味を持たせたのです。

 人類が本当に「支える・支えられる」という意志を持てば、それこそ「正しい」という字が「一に止まる」と書くように、一つにまとまることにより、目的が達成されるのです。

 安定した生命を「存在し続ける」理由が「群が一つの意識にまとまる」ということなのです。

 「群が一つの意識にまとまる」ことが実現できれば、争いがなくなり、安定した社会が形成できます。

 前にも書いたように、生命は人間だけではなく、その他の多くの動物や植物、バクテリアにまであり、そうした全ての生命が安定することを意味しています。

 したがって、安定した生命は、安定した社会、安定した地球、安定した宇宙を形成させるのです。

 これが目的であると考えています。