「立場」について

 三角形を描けば、たまたま上になった頂点が「頂点」として認識され、たまたま下になった2つの頂点は「底辺の端」として認識されます。

 人々の意識が変われば「頂点」だった頂点は「底辺の端」になるのかもしれないし、それも「右端」になるのか「左端」になるのかもしれません。

 これが正四面体になれば、同じような現象が「頂点」と「低面の端」となり、正多面体でも基本的には同じことが言えます。

 そうなってくると、「球」の頂点はどこかということになりますが、「頂点」という認識は既にできないし、あえて言うとすれば、三角形のように「もっとも上にある点」というしかないでしょう。

 正四面体ならば、いったん平面に置かれれば、安定するので、その時点で頂点は決定しますが、球であれば極めて不安定な状況の中での偶然の1点が頂点となり、これも風でもふけば、すぐに頂点の座を明け渡すことになります。

 私達は、意識の中でどうも正四面体を描いてしまいます。

 カ−スト制度、人種差別なんかは他の国の話ですが、企業にも人間として価値ではない、業務上の収益性を重視した正四面体のような構造があって、これの頂点を目指して頑張っているのもこれなのです。

 ただ、この正四面体でさえ、社会構造・共通思想が変化すれば、底面を構成していた点が頂点になるかもしれません。

 これははっきりいって錯覚であり、あくまでも人間の価値のうちの一つを捉えたことでしかないのです。

 むしろ、私達のいる世界は、球なのかもしれません。

 無限大の面を持つ、言い換えれば点の集合体である「球」には無数の頂点が存在し、かつ、揺れ動いているのです。

 私達は、当面は変化しないであろう正四面体に執着しているので、人々は険しい山道を好んで登っていくのです。

 別にそれが悪いことだと言っているのではなく、険しい山を登ろうとするから、企業はしっかりとしたものになるのです。

 ただ、インタ−ネットなどに代表される産業革命は、これまでの正四面体の向きを変えようとしているのであり、底面の点を構成していた人々が頂点になる可能性も十分あるのです。

 この頂点も球のようにはかない頂点なので、よっぽどがんばってふんばらないと、いつのまにか頂点ではなくなってしまうのかもしれません。

 このことにそろそろ気付いていただきたいと思うのです。

 そうすれば、別の展開が発想されるかもしれません。

 頂点を目指そうとするのは、そのこと自体別に悪いことではないのですが、もっと別の目標があってもいいとう選択肢を増やしてもらいたいだけなのです。

 誰が頂点になってもいいし、努力してもいいし、いつのまにかなってもいいのですが、いずれも安定しているものではないのです。

 そして、球は点が他の点を支え、また他の点によって支えられていることに気付くことが重要なことだと思います。