「非二元性」について
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非二元性を二元性世界で理解するには、多面体を考えるとわかるかもしれません。
三角形は、3つの点と3本の線と一つの面からなっています。
これは平面ですが、この三角形という平面図形を組み合わせた最少の立体が四面体です。
ここでは、正四面体を考えます。
正四面体は正三角形を4枚組み合わせたものですが、ここには4つの頂点と6つの線と4うの面があります。
もっと複雑な正○○体とうのを考えても点と線と面から構成されていることには違いありません。
点と点の関係を示すのが線であり、線と線の関係を示すのが面です。
ところが、もっともっと点を多くしていって、無限大にしていくとどうなるでしょうか。
点と点は関係という線や、線と線の関係である面という関係を消滅させ、ついには点だけからなる「球」という立体になります。
逆に球には点がなく、線もなく、ただ1つの面だけしかないとも言えるかもしれません。
さらには、球は無限大の面を持つとも言えるかもしれません。
さて、この球という代物が非二元性世界を表現するのに都合が良いのです。
その他の立体には「点」と、点と点の関係である「線」と、線と線の関係である「面」がありますが、球は、点の集合体とすると「線」や「面」がなく、線の集合体とすると起終点という「点」と「面」がなく、「面」というと「点」や「線」がなくなってしまいます。
点と点の関係である線、線と線の関係である面であるはずの線や面の関係すべきもとがない状態なのです。
言い換えれば、球は点の集合体であり、点同士が密接に寄り添っていて、関係を示す線や面がないということになるのです。
ようするに、点の集合体である「球」には線や面(曲面という表現方法もあるが)という関係はなく、点はすべからく球であり全体であるということになるわけです。
これが「非二元性」という概念で、そこには関係という自己と非自己を区分する「関係」という事実はなく、点がすべてを構成するとともに、球自体も点「個」であるということになるわけです。
さらに、点は球を認識することができないし、球も点を認識することができないために、私はこの状態を「一」と言っています。
球のある点が振動すれば、その振動は伝達され、再び点に戻ると同時に、球も振動します。
ところが、関係という線や面があったのでは、この振動は他の点の意志によって弱められたり、強められたりします。
従って、球の点の振動が「不安」であれば球も「不安」となり、振動が「安定」であれば球も「安定」します。
点は別の点を支えていると同時に別の点に支えられているのです。
この状態では、点以外には何も存在しないので、球の内側や外側をイメージしても何もないのであり、あるとすれば、外側から球を観察する者と内側から点を観察する者がいるだけで、これもイメージだけのものです。
なぜなら、球の外側からは球の内側を想定することはできても見ることはできないし、内側からは球としての全体を見ることができないのです。
地動説と天動説のことがまさにこれかもしれません。
宇宙を外から観ることができない人類には、宇宙の根源を理解することができないし、科学だけでは解決しない問題なのです。
ただ、両者の観察者がいないと、形もわかりませんし、中がつまっているのかどうかもわからないのです。
同じものを見ているはずなのに、全体が把握できないので、違ったように解釈するかもしれませんが、見ているものは球なのです。
このように観察者から区分できない状態が「非二元性」であり、この球自体が「一」で、「一」が「真理」なのです。
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