判断基準

 あなたは今、幸せですか、それとも不幸ですか。

 どうして今、幸せ、もしくは不幸なのですか。

 原因は自分にあると思いますか、あなた以外に原因があると思いますか。

 どうして原因が自分にあると思うのですか、あなた以外に原因があると思うのですか。

 その原因はどうして起ったのですか。

 その原因はいつ起ったのですか。

 

 以上のような質問を受けて、幸せであろうが、不幸であろうが、過去における自分以外の原因で今そう思っているとしたら、それは間違いです。

 幸せであろうが、不幸であろうが、過去における自分の原因で今そう思っているとしたら、それは間違いです。

 なぜなら、地球上に、生物があなただけとしたら、自分以外の原因で幸せや不幸になるはずがないのです。

 なぜなら、あなたがいなかったら、自分の原因で幸せや不幸になるはずがないのです。

 

 幸せや不幸はあなたと、あなた以外の環境の関係によって生じるものです。

 あなたとあなた以外の環境の関係がうまくいっていれば幸せですし、逆ならば不幸と感じるのです。

 

 では、あなたとあなた以外の環境との関係とはどういう関係なのでしょうか。

 あなたは、あなた以外の環境があなたの思いどおりになると思いますか。

 一般的にあなた以外の環境はあなたの思いどおりになることはないのです。

 あなたの思いどおりになるあなた以外の環境は、もはやあなた以外の環境ではなく、あなた自身なのです。

 逆に、あなたはあなた自身の身体を思いどおりにすることができますか。

 誰も病気になりたいなんて思う人は、よっぽど今からやろうとしていることから逃避したいと思っている以外ありえません。

 あなたはあなたの身体さえ思いどおりにできないのです。

 しかし、人は思うようにならない環境が続くと不幸と勘違いしてしまうのです。

 どのみち思うようにならないのが環境であり、自分の身体であることを認識すれば、思うようになった、もしくは思いもよらないラッキ−な状態になったことは、感謝すべきことであることが理解できると思います。

 そして、このような「感謝」できる気持ちを持ち続けていれば、あなたは幸せですし、気付かないでいればそれは不幸になる確率が高くなることを意味します。

 なぜなら、ラッキ−なことはそうないから。

 

 では、誰に対して感謝するのでしょうか。

 健康を感謝するの対象は肉体である自分ですし、ラッキ−なことについては皮膚より外側の環境や社会や他人に対してです。

 

 では、「自分」というのはどこにいるのでしょう。

 健康に対しては自分の身体に対して感謝するのですから、その感謝する自分は感謝する「意志」ということになります。

 不変性のある自分とは「心」でしかないということが理解できるでしょう。

 

 ところが、「自分の権利」という「自分」というのはどういう意味なのでしょうか。

 本当は「自分という心の所有するもしくは責任ある、管理している、他からの進入を防止すべき境界の内側」ということにでもなるのでしょうか。

 でも、心という非物質が物質を所有するなんてことができるのでしょうか。

 したがって、この場合の自分とは、「自分の身体」ということになりますが、ここですでに思い違いをしているということになります。

 「自分の身体が所有するもしくは責任ある、管理している、他からの進入を防止すべき境界の内側」というのが「自分の権利」を示すものと考えることができます。

 では、「境界」というのはどこが境界なのでしょうか。

 身に付けている衣服・装飾品、では衣服・装飾品の範囲とは?、住んでいる家、家の建っている土地、その土地の上下の空間、その空間の範囲とは?、空間の環境、環境の範囲とは?

 衣服・装飾品については、その範囲が明確なような気がしますが、果たしてそうでしょうか。

 土地の上下の空間については、範囲は明確でしょうか。

 自分が関与すべき環境については、範囲は明確でしょうか。

 全ての境界はその場、その場で不明瞭で、結局その社会的に言われている道徳に基づいた「常識」が範囲を決定しているに過ぎないのです。

 ある日、外国のように、土地の全ては国の所有物で、人々は国から土地を借りているということが国会で決定するかもしれません。

 「判断基準」というのが、いかに不明瞭で、単にその時代の社会的な「常識」という変化するものに従っていることが理解できたでしょうか。

 

 したがって、時代に左右されない「判断基準」で私達は土地の上に柄を描かなければならないのです。

 今計画しているものが、もしかしたら10年後は「悪」というレッテルをはられるかもしれないのです。

 はやりすたりではない、本当に「良いと思われるもの」を創造し、そして土地に柄付けをしなければ、私達の仕事は三流品でしかないのです。