生きるということの意味は?

 子孫を残し、生命を維持させることが「生きている」ことの目的です。

 また、その子孫は親よりも安定した生命でなくてはなりません。

 そのためには、様々な組み合わせによる生命の誕生を実現しなければなりません。

 男女の組み合わせは国を単位とし、適正な年齢を考えても確率的には極めて奇跡に近いようなものです。

 そして、子供を生むことになるのですが、これを庇護しなければ、子供は自分で成長することができません。

 そのためには、個として生きているよりも群として生きていく方が安全だし、効率的なのです。

 群の中で個がいきていくためには、ギブ・アンド・テイクな関係が必要になります。

 「人のために」という行動が、いつか「自分のため」に帰ってくるのです。

 「生きる」というのは、より大きな群のために活動することなのかもしれません。

 戦争もサリン事件も、よりおおきな群の一員として働いているから、罪悪観なしに人を殺せるのかもしれません。

 でも、「子孫を残し、生命を維持させる」ことを目的にしているのですから、手法として「殺人」を実行するのは、矛盾があります。

 しかし、「生」と同様に「死」も「生命を存在し続ける」ことを目的に実行されているシステムなのです。

 「自然」であろうが、「人間以外の動物」であろうが、「人間の営みを支えるバクテリア」であろうが全てが生命を存在し続けるために必要なシステムなのです。

 ところが、戦争やサリン事件のように、人間は勘違いして自然を必要以上に破壊し、地球の状態を悪化させてしまっているのです。

 人類の生命が大切なのではなく、自然の生命も、その他の動物の生命も、バクテリアの生命もみな同じで、そしてみな大切なのです。

 全ての生命がビッグバ−ンによって仕組まれ、地球では植物を幹に人類が最近になって誕生したのです。

 生きる目的は「他を存在し続ける」ために活動することなのです。

 他とは他人であり、環境であり、地球であり、宇宙ということなのです。

 自分の権利、利益ばかりを求める風潮は、結果的に人類という生命、他という生命を消滅させる結果となってしまいます。

 考えてもみてください。

 人間に必要な酸素は植物が与えてくれますし、食べ物だって植物です。

 肉は植物ではありませんが、牛やブタを育てているのは植物なのです。

 その植物は光と大地によって支えられていますし、大地は植物が枯れていくことで養分を貯え、酸素を貯えているのです。

 また、大気は水を雨という姿で生物全てに与えてくれますし、全てのものが支え、支えられて存在しているのです。

 人類だけがこのシステムからはみ出るような特殊な生命であってはいけないのです。

 生きるというのは支え・支えられて「生命」を存在し続けることを目的としているのです。

では、なぜ、生命は存在し続けなければならないのかという命題が発生しますが、この点については別の機会にしたいと思います。