「宗教の解釈」について

 本当に簡単なことなのです。

 宇宙船から地球を見た人々が地球生命体を感じ、これを愛しく思い、そして健全な状態に保ちたいと願うことと同じなのです。

 キリストも釈迦もその他の宗教の根本の人々も、本当に「真理」を観たのだとしたら、それは「全てを愛しく思い、そして健全な状態に保ちたい」と願ったのです。

 でもそれをどうしたら実現することができるのでしょう。

 「真理」を観るという「悟る」という経験のない人々に、同じような「愛しく思う」ことを実行してもらうためには、同じ「悟る」状態を経験してもらうか、「悟る」経験から得た知恵を信用し、実行してもらうしかないのです。

 絶対的「神」として忠誠を尽くすようにコントロ−ルするのも一つだし、「内なる声を聴く」ようにコントロ−ルするようにするのも一つだし、全てを否定したあとに残るものが「真理」だとするのも一つです。

 いずれにしても、「健全な」すなわち「安定した社会・宇宙」にするためにどうしたらよいかを深く考えて、あみ出した手法、すなわち「悟る」経験をした人の考え方でしかないのです。

 こんなことを書くと、宗教関係の人々からお叱りを受けるかもしれませんが、これも私個人の考え方だと思って無視していただければ幸いです。

 口頭で、文章で、映像で表現すること自体、無理があることを承知で、その手法を考え出した結果が多くの宗教の形態となっているのです。

 だから、争うのはもうやめにしてください。

 争うことを予期しなかった宗教の根本を考えた人々の汚点なのかもしれないのです。

 でも、その汚点は、肉体的重荷を背負う人類には、これ以上の表現ができなかったのです。

 その当時は宇宙船から地球を見るなどという行為は誰にもできなかったのですし、今では少ないですがこれを経験した人が、日本にもいるわけですから、その時の心境を聴くことにより、イメ−ジできる可能性が出てきたのです。

 これは「科学」があってはじめて実現した「愛しい」という心の実証なのです。

 この思いの延長線上に宗教の根本の人々が思ったことがあるのです。

 地球生命体の一部である人類がこうした「愛しさ」を感じることにより、地球生命体は健全な状態に戻るのです。

 少なくとも人類が過去の過ちを繰り返さないような気持ちになり、復元しようと努力を始めるのです。

 他の宗教を「拒否」するというのは、手法を拒否している自己の宗教への執着であり、宗教の教える「真理」はもっと崇高な部分かもっと深層の部分にあるのです。

 「救済」を祈っている宗教の一致した思想が、単に宗教の違いに執着するのは、「宗教」の根本となった人々の意志とは全く異なるということを真剣に考えてください。

 そうしないと、今でも続いている宗教戦争に終結はないのです。

 言葉はどうでもいいのです(誤解をしないでください)。

 言葉として残した人々の目的を聞いてください。

 最後に、資本主義・共産主義は手法ではあるが、信仰すべき存在ではないということを明確に示したいと思います。