死んだらどうなるのか?

 死ぬというのはどういうことなのでしょうか。

 例えば、高精度のコンピュ−タを頭脳にした機械であるロボットを考えてみましょう。

 エネルギ−は人間が食べ物であるように、ガソリンや電気かもしれません。

 血液の変わりに電気だったりするかもしれません。

 それこそ、皮膚に近い物質さえ創れば人間と見間違えるほどのロボットができる可能性はSFの世界でなくても可能な状況にあります。

 コンピュ−タに人類の歴史や科学、哲学、心理学、その他ありとあらゆる情報を詰め込めば、もしかすると人間よりもより完全な生き物になるかもしれません。

 デ−タの矛盾をうまくとり扱うファジ−なものであれば、それこそ人間と同じかもしれません。

 さらに、エネルギ−さえ補給してやれば、故障をそのつど直すことで永久に活動可能なのです。

 以上のような技術的に可能になりそうなロボットと人間はどこが違うのでしょうか。

 違わないといった方が正解なのかもしれませんが、とにかく人間だけがいずれは死ぬことになるのです。

 ただし、以上のような内容は、ある時点で観察した場合のものです。

 生命の不思議さは成長することであり、新しく生命を産み出す能力があるということです。

 魚でも昆虫でもイヌでも人間でも持っているこの成長と誕生という現象は生命にしか持つことのできないことではないでしょうか。

 成長するから、誕生するから「死」があると思います。

 また、生物には「喜怒哀楽」があります。

 イヌは飼い主が帰ってくるとしっぽを振って喜びます。

 喜びというのは理屈など考えて喜ぶのではなく、とにかく喜んでいるのです。

 とすると、「感情」も「死」と関係があるかもしれません。

 「誕生」、「成長」、「感情」もっとほかにあるかもしれませんが、どうもこのあたりが「死」の原因かもしれません。

 「誕生」は1組の卵子と精子が一つの細胞を受精により作り出し、これが細胞分裂を繰り返すことにより、達成されます。

 卵子も精子も「命」がないとすれば、「命」のないものが2つあってこれが合体することにより、「命」が生まれることになります。

 「無」から「有」が可能ならば、この世界から無尽蔵にエネルギ−を取得することも可能かもしれません。

 しかし、実際には、母親の「命」と父親の「命」が合体して新たな「命」となるのです。

 そして、この時に本能とか感情とか人間として受け継ぐものを親の「命」から受け継ぐのです。

 「命」がなくなれば、「死ぬ」のです。

 「命」は「生きるための」エネルギ−です。

 食べ物だけがエネルギ−だとしたら、食べ続けていればいつまでも死なないでいいということになりますが、そんなことはありません。

 食べ物以外のエネルギ−のうち、親から受け継いでいるエネルギ−があるのです。

 進化の歴史から考えると、最初の生物は植物でした。

 人間の先祖は猿であるよりずっと昔に植物だったのです。

 では、その最初の生物である植物の命はどこから得たのでしょうか。

 このエネルギ−を命のデ−タというふうに考えると「遺伝子」がそれかもしれません。

 遺伝子はどうやって発生したのかが今度は問題となります。

 突然変異かもしれませんが、地球の誕生があって、遺伝子が発生したということになると、宇宙の始まりで遺伝子が発生する可能性を秘めたシステムが存在していたことになります。

 そして、つきつめればビッグバ−ンの時点で生命が誕生するシステムがすでに組み込まれていたことになります。

 ビッグバ−ンのエネルギ−は今でも私達のまわりにいつも充満しています。

 太陽だって、地球だって、その他の星だって、空気だって、光でさえもビッグバ−ンのエネルギ−を所有しているのです。

 そう考えると、ビッグバ−ンは生命を産み出し、人類を創造しましたが、それはあなたを創造したのではないということです。

 あなたが持つ遺伝子を創造したのです。

 ですから、私達個人ではなく、人類としての価値が優先されるのです。

 あなたが死んでも人類が死ぬということはないのです。

 ではあなたに価値がないかというとそうではありません。

 次の生命を産み出す価値と次の生命に情報を残していくという価値があります。

 さらに、あなたの考えをベ−スにさらにおおきな考え方を成立させていくことが可能になるのです。

 同じ過ちを繰り返さないという情報を残し、そしてより安定した生命を産み出そうとしていることに価値があるのです。

 科学の進歩を見ればよく理解できると思います。

 成長、すなわち変化するためには、エネルギ−を消費していかなければなりませんし、誕生しないと、進歩がないのです。

 ごく限られた人が永遠に生きるとしたら、多くの人々が入れ代わり立ち代わり考えるよりも進歩はなかったはずです。

 また、植物から進化が始まり、人類にいたったのであれば、誕生や成長がないと、植物から人類まで進化するはずがありません。

 「死ぬ」ということは生命が「生き続ける」ためには必要な措置なのであり、昆虫だけではよりおおきな生物に押しつぶされて消滅する可能性がありますし、より大きな生物でも、気候や風土の変化で消滅するかもしれません。

 人類は科学という予測手法で危機を逃れることが可能です。

 生命をいつまでも継続できるようにするために「進化」はあり、このために「成長」や「誕生」が必要ですし、本能として「感情」もあるのです。

 生命を受け継ぐ「進化」という現象を実現するために「死」が必要なのです。

 そして、あなたの生命としての情報は子孫に受け継がれます。

 あなたは、あなたの「体」があなただと思いますか。それともあなたの「意識」があなただと思いますか。

 「体」も「意識」もあなただというかもしれませんが、どちらかとすれば、「体」だと答える人も少ないと思います。

 そうすると、この「意識」というのが受け継がれる生命の「情報」そのものであることになります。

 ですから、「死」はあなたの肉体が消滅することを意味し、決してあなたの「意識」が死ぬわけではないのです。

 意識だけの時というのは幽霊みたいなものかもしれませんが、生きている時のことに「執着」しすぎているのが幽霊なのです。

 その他の意識はビッグバ−ンのエネルギ−の一部なのですから、「光」なのかもしれません。

 生老病死苦のある生きている状態から脱し、光になることにより、休息することが「死」なのかもしれません。

 「死」を恐れるのは、あなたが母親の胎内から出て、始めて呼吸し、始めての空間を経験する「恐怖」からきていることが心理学で言われています。

 死んだ方が光になって楽だと思わせないしくみかもしれません。