作用・反作用

 社会がおかしい、何か間違っていると思うことは、思っている自己がおかしいし、何か間違っているのです。

 社会を批判する前に社会の構成員である自己自身の考え方を改めるべきです。

 自己自身の考え方が改められれば、おのずと社会も改めることになります。

 もし、社会がおかしいのだと考えると、社会が独立した意志を持っているということになります。

 また、社会を支配している政治や大企業がおかしいから社会がおかしいとするのであれば、ごく一部の人に躍らされている自分の価値がないと思うことと同じになります。

 社会にあたかも意志があるように思うか、自分の価値を否定するか、それはあなた自身の考え方なのです。

 でもはっきりと示しますが、どちらでもないのです。

 あなた自身が考え方を正しくすることによって、社会が正しい方向に向かうのです。

 社会はあなたにはどうしようもないくらい遠い存在なのではなく、あなた自身、そしてあなたのように社会がおかしいと考えている人々が考え方を正しくしようと思うことによって、社会は変わるのです。

 今、社会が何かおかしいと思っている人々は本当に多く、選挙だって、無党派の指示が多かったのは、政治がおかしいと思う人々が多いからにほかなりません。

 だから、あなたの考え方を正しくしたいと思うことが、社会を正しく変えることになるのです。

 別に特別な行動をして、革命でも起したらというのではなく、正しい考えをしたいと願うことによって、社会は変わるのです。

 不安な思いがあっという間にメディアによって広がったように早くは達成しないかもしれませんが、着実にあなたが変われば社会も変わるのです。

 また、あなたが豊かになりたいと願うのであれば、企業も豊かにならなければなりませんし、社会も豊かにならなければなりません。

 必ずギブアンドテイクの関係があって、自分だけが豊かになるというのは、非常に難しく、かつ、達成しても非常に不安定です。

 幸福になりたいと思ったら、人を幸福してあげようとすることで幸福を感じるはずです。

 大事にされたいと思ったら、大事にしてあげれば大事にされるはずです。

 偽善と言われるかもしれませんが、豊かにしてあげること、幸福にしてあげること、大事にしてあげることを否定するよりはましです。

 逆に、だましてやれと思い実行すると、あなたの回りの人が全てあなたをだましているのではないかという妄想を抱き、あなたは結果的にだまされたことになるのです。

 嫌いな相手は、相手からもあなたは嫌われているのです。

 苦手な相手は、相手からもあなたが苦手だと思われているのです。

 物理学でいう作用・反作用の関係にあると思ってもいいはずです。

 傷付けられて悲しいあなたは、しかえしにあなたが他人を悲しませたいと思うかもしれませんが、これではいつまでたても悲しみはあなたから離れません。

 あなたが、あなたの悲しみで終わりにしようと思うことにより、徐々にあなたからは悲しみが去っていきます。

 泥棒に入られて喜べということではなく、泥棒に入られた自分のすきに気付き、そしてそれを改めることだということなのです。

 おまえはそんなに聖人君子かと言われるかもしれません。

 別に私は聖人君子などではなく、普通の人と同じように考えがちな人間です。

 だからといって、それでいいとおもっているのではなく、そう考えていきたいと思っているだけです。

 類は朋を呼ぶといいますが、朋を見て自分を判断する冷静な目を持ちたいと思っているだけです。