悟るというのはどういうことなのか?

 悟るというのは、一時の精神的状況なのですが、意識を集中すると同時に何も考えていない状況にイメ−ジがわいてくることといったら良いのでしょうか。

 何も考えていないというのは、ちょうど宇宙遊泳している時のようなもので、浮いているというのは重さがなくなったことで、質量がなくなったことではないのと同じです。

 つまり、引力と遠心力がつりあった状態なのです。

 私の場合は「宇宙の根源」への意識の集中と、「仕事には無関係な集中の無意味さによる拒否感」が同時に起こり、宇宙遊泳のようなつりあった状態だったのでしょう。

 私の体の中で2つの意識が綱引きをして、均衡状態にはいったときに、悟りのようなイメ−ジを得たのです。

 それは「宇宙の根源」そのものでした。

 「観たい」という執着を解き放つ反対の意識があって、無重力状態を得た結果、「観たい」ものが「観えた」ということなのでしょう。

 その瞬間は極めて驚きもしましたし、興奮もしました。

 しかし、冷静になってみると、「ピンとくる」という感覚の延長線上でしかないのです。

 悩んでも解決できない事象が、まったく関係のない時に答えとして見えてくる、いわゆる「ピンとくる」というものです。

 「解こう」とする執着がない時に「解き方」が見えてくるのです。

 では、なぜ考えてもいないときに「ピンとくる」のでしょうか。

 この「考える」と表現されるものが原因となるのです。

 意識というのはいくつかの層を形成しており、これは深層心理とか表層心理とか、心理学上で証明されています。

 通常「考える」とは、最も表面的な意識の中で活発に脳細胞が活躍している状態です。

 脳の構造で言えば、3つの脳があるそうです。

 爬虫類にもある脳、哺乳類にある脳、そして人類が発達している大脳新皮質です。

 これら3つの脳がすべて活動しているのが人類の脳なのです。

 言葉などは大脳ですし、喜怒哀楽などは哺乳類の脳ですし、心臓を動かしているのは爬虫類の脳なのかもしれません。

 ですから、爬虫類の脳や哺乳類の脳は「言葉」を持っていないので、人間が考えるときには表面に出てきません。

 人間は言葉や映像で物事を考えますから、意識の上では大脳新皮質の部分のみが活動している状態が感覚として表現され、悩むわけです。

 ところが、気付かないけれど言葉ではない思考形態の脳が盛んに活動しているののです。

 これが結論に達すると、言葉や映像での思考形態である大脳新皮質の方へ情報を公開し、これが「ピンとくる」ときなのです。

 赤ん坊のときの記憶を持っている人は少ないと思いますが、どうしてなのでしょう。

 記憶が薄れたというレベルではなく、記憶にまったくないというのが事実だと思います。

 赤ん坊は「言葉や映像」の思考形態をまだ持っていません。

 だから、現状での人の思考形態と波長があわないために、記憶として思い出せないのです。

 催眠術で、本当かどうかはわかりませんが、赤ん坊のときの記憶や、胎内にいるときの記憶を取り戻すことができるようですし、「死への恐怖」は出産ときの呼吸形態の変換に伴う恐怖が原因だという心理学の説があります。

 喜怒哀楽といった感情は哺乳類の脳だと書きましたが、「恐怖」はまさに言葉を持たない哺乳類の脳の記憶なのです。

 では、科学は数字や記号や文字を発想の原点として発展してきたのではないのかと言われるかもしれませんが、科学者の発想した最初のものは「数字や記号や文字」ではなく、「解けなかった部分」ではなく、「全体」を感じたということなのだそうです。

 記憶は確かではないのですが、何憶という脳細胞の1/3程度しか人類は活用していないというのですが、残りの2/3が不必要ならば、なぜ「存在」するのでしょうか。

 証明されていない、観察できない機能が残りの2/3にあって、それは文字やイメ−ジや記号などを思考回路には持っていないけれど、重要な機能を有しているから「存在」しているとは考えられないでしょうか。

 もしくは、使い方しだいでは大いなる可能性を秘めている「脳の部分」とは言えないでしょうか。

 不必要ならば退化しているはずであり、爪でも、尾てい骨でも、体毛でも必要がなくなれば、退化するはずなのですが、脳だけは進化が遅れているとすれば、人類よりも進化する生物が今後登場してくるということなのでしょうか。

 究極の生命とは言いませんが、これから大きく変化していくとは誰も創造もつかないことです。

 まして、使用しない脳を前もって準備しているほど、進化はムダなことはしないはずであり、ムダだから必要があるから進化するのです。

 話を戻しますが、「悟る」というのは、「根源」を「真理」を観ることです。

 哺乳類はまだ生命の歴史から見るとまだ新しいですし、少なくとも爬虫類の方が長い歴史を持っています。

 また、進化とともに肉体的には変化したものの、植物と同様なシステムを持つDNAが細胞の中に持ち、これが遺伝情報を伝えています。

 脳が3つあるということなのですが、もしかしたら、気付かないことではありますが、生命誕生の頃の記憶がもしかしたらどこかに残っているかもしれません。

 生命は無生物の変化から誕生したのですから、無生物と言っている物質にも刻まれた記憶というのがあるかもしれません。

 記憶というのは情報です。コンピュ−タのデ−タも情報です。

 無生物に情報があるといっても別に問題はないと思います。

 こうしたことをたどっていくと、宇宙の根源の記憶がどこかにあって、それが目覚めてくることが「悟る」ということなのかもしれません。

 ですから、通常の脳の活動中には観えないで、特殊な無重力状態のようなときに観えてくるのです。

 「悟る」というのは「大洋の感覚」と言うのだそうです。

 「大洋に何の抵抗もなく漂っているような感覚」ということなのか、「大洋のような全体的な感覚」ということなのでしょうか。

 少なくとも、「悟る」前後では考え方が一つ次元を上げたような、多くのものがわかるようになったような感覚となります。

 宇宙飛行士が宇宙から地球を見たときに「地球生命体」を思い、地球を愛しくなるのと同じで、「悟り」はより全体を見るようになり、愛しくなるのです。

 ただ、だからと言って、悩みがなくなるとか、生活が変わるとか、奇跡がおきるとか、性格が変わるとかいうことは全くなく、これまで通りなのです。

 なぜかと言えば、今まで持っていた記憶に気付いただけなので、個人としては何か新しいものを仕入れたわけではないのです。

 だから何も変わらないのです。

 ただ、より全体を愛しくなるということだけなのです。