ネオン

 夜の片町には本当ににぎわいがなくなりました。

 夜の片町には昼にない、なんとなく魅力があったものです。

 夜のお店の照明をみたことがあると思いますが、電球がたくさんならんでいて、それぞれの電球はついたり、消えたりしているのですが、全体としてはまるで光の玉が走っていくように見えます。

 テレビは映像でいろいろなニュ−スやドラマで私達を楽しませてくれますが、ブラウン管に近づいてみると、単に色の粒の大きさが違うものの集まりであったり、線の様々な太さだったりします。

 新聞や印刷物の写真でさえ、近くで見ると粒の集まりでしかありません。

 私達は物質を存在するという認識で捉えていますが、夜の片町のネオンのように、電球の玉がついたり、消えたりしているだけのものでしかないかもしれません。

 こんなことを考えて暮らしている人々は少ないかもしれませんが、量子論や不確定性理論などを研究している人々にとっては、物質というものはもしかしたら単なるネオンのようなものかもしれないと思っているのです。

 自分と環境を区別する皮膚でさえ、一見境界があるように見えますが、実は穴だらけで、どこまでが皮膚でどこまでが環境なのか区別できないのです。

 プラズマという言葉を聞いたことがあると思います。

 雷や科学の実験道具で火花みたいなものが動いているのを見たことがあると思いますが、これがプラズマです。

 私達の地球の上では、こうしたプラズマは時々見かける程度で、あたかも特殊なもののように思えます。

 プラズマの正体は何だと思いますか。

 プラズマを電気だと思っていると笑われてしまいます。

 プラズマは物質の第4の形態であるとされています。

 固体、液体、気体そしてプラズマです。

 電気は電子の移動と教えられていると思いますが、誰も物質だとは思っていませんし、電磁波の一種と思っているのが普通です。

 プラズマは電気のイメ−ジそのものなのですが、プラズマは物質の一つの形態であることが科学的に示され、実用されているのです。

 地球上では極めてまれ(雷もまれと考えてください)に見られるものですが、実は宇宙の構成物質のうち90%以上がプラズマの状態にあると言うのです。

 固体、液体、気体は分子間の束縛の度合が変化することにより発生しますが、プラズマは分子の構成そのものが変化するものです。

 天動説を信用してきた人々が、地動説が正しいことがわかった瞬間に、立っていられなくなったということを聞いたことがあります。

 物質がネオンのようなものだということが正しいとわかったとたんに、たぶん人々は体が溶けてなくなるような気持ちになるかもしれません。

 しかし、地球には90%以上を占めるプラズマをまれな存在として人々に見せない「奇跡」があるので、そんなに今までの生活と異なることを創造しなくても良いのです。

 「認識」が変わることがどんなに不安で、拒否したいものかが創造できるでしょうか。

 でも、「認識」が変わっても、人間がいなくなるわけでもないし、物質が突然蒸発するものでもないので、まったく心配はいらないのです。

 ここでは、それを言いたいのではなく、「認識」というのが一般的には、「常識」という文化の上に成り立っているものに過ぎないということを伝えたかったのです。

 今まで青信号たと思っていたのは実は赤信号だったということだけなので、英語で「blue」、日本語で「青」が同一の色だと思っていたのが、実は「赤」という認識かもしれないとする記号上のことだけなのです。

 私の見た「青」とあなたの見た「青」が同じだということが誰に証明できるのでしょう。

 確かに「海の色」は「青」かもしれませんが、青色系の多くの色の中から「青色」だと思う色を選択すると、人によって違う色を選択するはずです。

 色は識別できるできないにかかわらず、無限に分割できるので、「青」を限定することなどできず、有限に分割した色番号の○○番「青」として指定するしかないのです。

 新聞の写真は、読者がおおむね紙面から○○cm離れて認識できるような精度で表現しているのです。

 だから、これ以上接近して見る読者は点の集まりとしか認識できません。

 対象を正確に把握したいと思ったら、適当な距離をおいて観察するしかないのです。

 より大きな認識を持たないと、より多くの観察ができないということであり、過度な接近した観察は、物質とネオンの区別がつかなくなり、観察できるどころか、「不安」になってしまうのです。

 逆にあまり認識を大きくし過ぎても、新聞の写真は単なる黒い点となり、何を表現しているのかがわからなくなります。

 「花瓶と向合う2人の顔」という柄をみたことがあると思いますが、対象者との距離だけではなく、適正な距離でも「花瓶を見る人にとっては2人の顔が見えない」し、「2人の顔を見る人にとっては花瓶が見えない」のです。

 必要なことは、「花瓶にも見えるし、2人の顔にも見える1つの柄であるという認識」なのです。

 地図を見ている時の見えて来るものと地図を反転コピ−したときに見えて来るものが違うことを知っていると思います。

 通常は道路とか建物が見えますが、反転すると空地の方が見えます。

 日本地図を北側を上にするよりも、南側を上にして見る方が大陸との関係を強く感じるのをもう見ているはずです。