
1.行政 |
|||
|
明治22年4月以前 |
明治22年町村合併 |
||
|
湯谷村 |
横谷、板ケ谷、石黒又、古郷寺、栃尾、町、平下、袋、上中、銚子口、谷口、平等、上山、北袋、東市瀬、藤六、朝ケ谷、下荒屋、野、打尾谷、木目谷、炭釜 |
明治22年 斎藤武十郎 明治26年 北尾栄次郎 明治30年 西村善秀 明治36年 坂田萬馬 明治37年 吉田有格 |
浅川村(下田上) |
|
金浦村 |
折谷、魚歸・湯谷村、小豆澤、戸室別所、小原、戸室中山、大菱池、小菱池、新保、俵等、角間、若松、上田上、下田上、鈴見 |
明治 年 宮崎忠章 明治 年 上田善太郎 明治 年 本多伊左衛門 明治 年 北尾栄太郎 明治 年 鈴永雅臣 明治35年 堀 知勝 |
明治40年 堀 知勝 明治40年 本多伊左衛門 明治44年 宮村栄助 大正3年 村田 善蔵 大正7年 村田 善蔵 |
|
医王山村 |
二俣、荒山、田島、戸室清水、南原 |
明治22年 大山尾之助 明治32年 田賀孫助 明治36年 松岡長次郎 明治38年 山崎徳右衛門 |
|
2.警察 |
|
二俣駐在所は明治17年4月3日、下田上駐在所は明治21年の頃の創設とす。明治20年5月14日袋村に駐在所を置きしが、明治21年4月28日之を俵等へ移し、明治21年5月1日北袋にもまた之を設く。巡査部長派出所は明治34年6月19日上田上に置き、その名称を下田上派出所と呼びたりしが、大正8年4月之を下田上の地内に移せり。 |
3.消防 |
|
消防組は区域広大なるを以って金浦、湯谷、医王山の三組とし、さらに金浦組は5部、湯谷組は3部、医王山組は2部に分かつ。そして金浦組は明治32年11月23日、医王山組は明治34年2月22日、湯谷組第1部、2部は明治44年8月、湯谷組第3部は大正元年9月12日の創設に係る。 |
4.小学校 |
|
明治5年5月下田上村の本多伊左衛門は本県士族谷川直一を自宅に聘(め)し、自家の子弟を主とし、付近数名の児童を集めて、読・書・算の初歩を教授せしめたり。以来近郷より来たりて教えをこうもの日々多きを加え、学徒数十名に達し、ついに一家塾の観をなしたりき。時の石川県令桐山純孝、本郡巡視の際之を目撃し、多いにその企画を嘉し、寧ろ純然たる学校となすの利なるを諭し、明治6年4月6日第二大学区第二十二中学区河北郡下田上村落小学校と称せしむ。その校下は下田上、上田上、角間三村とし、修行年限は下等八級、上等八級にして各4ヶ年なり。明治6年本多伊左衛門の寄附に係る新築校舎に移りしが、翌7年4月2日火災に罹(かか)りしを以って一時民家を借用し、明治8年11月下田上村有志者の醵(きょ)金により、さらに東西四間半、南北八間の一校舎を新築せり。明治18年2月本校に初等三ヶ年。中等3ヶ年、高等2ヶ年の三等科を置くべきを定められ、明治19年4月を以って實施期限とす。これより本校は石川県第五番学区河北郡第一番学区下田上村小学校と称することとなれり。明治20年小学校令発布の結果として、本校に尋常科、簡易科の二校を設置さられ、簡易科下田上小学校及び尋常科下田上小学校と称す。明治25年4月1日また小学校令の改正により、従来の学区を廃し、小学校は各町村の設置となす。ここにおいて本校を金浦村に移築して下田上尋常小学校と改称し、村内には本校の外俵等(小原に同校の分教場あり)鈴見の二尋常小学校を設く。明治26年1月23日本校に尋常小学校補修科を設置し、就業年限を2ヶ年とす。明治37年6月5日高等科を併置し、尋常科の補修科を廃しして下田上高等小学校と称す。明治40年8月10日元金浦、医王山、湯谷の三村を合併し、新たに浅川村となしたることを以って、同年6月17日本県令第37条により、250日の存続期間を定められたる元金浦村立下田上尋常高等小学校は、明治41年3月31日限り廃校となり、4月1日新たに浅川村立下田上尋常高等小学校となれり。尋常科の通学区域は従来のとおり下田上、上田上、角間の三字にして、修行年限3ヶ年の高等科を併置し、その通学区域を浅川村全部とせり。 歴代校長名 谷川 直一 明治6年 森 亮造 明治7年 大野 平時 明治8年 吉村 正直 明治11年 島倉 守之 明治19年 深谷 静 明治26年 津田 三郎 明治33年 池森 義彰 大正4年 |
5.補修学校 |
|
明治41年12月、町、小原、北袋、袋、俵等、下田上、鈴見、医王山の各小学校に農業補修学校を附設し、農閑期において夜間教授をなししが、大正7年11月従来の各校に附設しありしものを廃し、浅川村律農業補修学校と称し、その本校を下田上尋常高等小学校に附設し、その他の小学校に分教場を置くこととせり。 |
6.青年団 |
|
明治43年前後において、従来各部落に存したる若連中の組織を変じて青年団と称し、若者頭をもって団長となし、以って漸次風習の改善に努めたり。しかるに大正5年イシカワケンは青年団準則を発布し、一町村を以って一団とすべきを指示したるを以って、同年8月1日新たに浅川村青年団を組織し、村内各校下にその支部を置き、尋常小学校卒業後二十歳に至る男子を以って正団員とし、下田上小学校長池森義彰を推載して団長とすることとせり。 |
7.夜学会 |
|
青年夜学会は村の事業にして、毎年12月より翌年3月に至る農閑期を利用し、その支部たる各小学校に行はる。 |
8.婦女会 |
|
大正4年浅川村婦女会を組織し、各校下を支部とし、毎年1回その総会を開く。会長は下田上小学校これにあたり、主婦たる者を以って正会員とす。 |
9.神社 |
|
郡家神社 |
|
字鈴見にあり。村社にして菊理姫命を祭る。明治5年10月村社に列せられ、大正6年7月21日神饌幣帛料神社に指定せらる。 |
|
八幡神社 |
|
字若松にあり。村社にして応神天皇を祭る。明治41年7月17日同字無格社八幡神社(二社)を合併するの許可を得、同年9月11日これを合祀して村社となり、大正6年7月21日神饌幣帛料神社に指定せらる。 |
10.寺院 |
|
専徳寺 |
|
字若松にあり。真宗大谷派にして院家地となす。開基は本願寺蓮如の子蓮悟なり。蓮悟の上洛するに及び、この寺はいったん中絶せしが、天文元年念西という者来たりて、名蹟の滅絶せんことを憂い、現今のところに寺坊を建つ。松扉山専徳寺すなわちこれなり。 |
11.名蹟 |
|
鶯の清水 |
|
字鈴見にあり。水質甘美にして最も煎茶に適すというを以って名あり。 |
|
御座敷 |
|
字若松の東方山地にある二町余歩の広野を御座敷といい、その後方の山を御坊山、その谷を御坊谷といえり。はじめ蓮悟の専徳寺を建てしは、この御座敷の地なりしもののごとく、まことに地下二尺許を掘る時は、あるいは一面に石を敷きたる所あり。あるいは門塀の跡なるべしと思はるる所など存すという。 |